月別アーカイブ: 2011年1月

創刊

 

 

はじめに

表題の「DA-DEYA」はダデヤと読みます。僕のふるさと長野県東信地方の方言で「信州はいいとこだでや」と会話の末尾で使います。方言「ダデヤ」は土着の意気….ふるさとの誇りを胸に名づけました。東信濃とは、長野県の東部地方のエリアをさします。県民歌「信濃の国」を歌えば、そこには浅間連山、八ヶ岳連山、万葉の頃から詩に詠まれし千曲川と、東信濃の四季はことのほか鮮やかです。海抜400㍍から2500㍍、数多の山塊が国境を隔て総面積約2500平方㌔㍍。およそ40万人の人々が暮らします。

日々の出会いを丹念につむぐことから始めようと思います。東御市を基点に 身の回りの様々な風景や出来事をとどめ、お届けしたいと考えます。それがダデヤのニュースです。嘘いつわりのない所、本音の故郷通信です。

記者個人が暮らす身近な生活圏の出会いや出来事を、極めて個人的な好みで取捨選択しながら、土着の者ならではの目線で捉えます。記者は今のところたった一人。谷嶋成仁というペンネームの斑白が主筆兼編集長兼記者を務めます。「今ここに在ること」 それをそらさずに記録すること、寿命が尽きるまで続けること、個人的な思いが先行する最小通信社です。ネット通信に載せることから、「世界最大級の最小通信社「The-most-biggest-little-press-in-the-world」といえるのかもしれません。

 

福顔の番頭さん 

 東御市ふれあいトロンセンターほたるの湯….東御市の心ふれあうセンターで、ホタル飛びかう所の銭湯ですと、道端の看板は言っていた。「何故にトロンか…..トロ~ンと極楽気分になるのかしら」と、ボクは読んだ。畑地が広がる御牧原台地の北、東御市北部区の集会場と隣接しその湯はあります。

合併前の北御牧村が平成11年(1999)に総工費ざっと4300万円をかけ建設の公営銭湯、独り暮らしや高齢者世帯の生きがい拠点を目的に県介護予防拠点整備の事業補助を受け、云々。地元、北部区・南部区・御牧台区でつくる施設管理組合(水科勝吉組合長)を指定管理者に、月曜定休日と年末年始を除き、年間312日間、毎日午後3時頃に暖簾(のれん)をあげている。

入り口の引き戸をあけると、玄関口に大ぶりの花枝が活けてある。およそ3坪ほどのエントランスがあり、受付の番台を囲んで湯上りの先客がくつろいでいた。俳句や絵手紙が壁に張ってあり、中には、戦後この地に入植し90歳を迎える老人が季節ごとにしたためてくれるという書もあった。女湯の連れの母親を待っているのか、若い男衆の膝の上、まるで桃花色の羽二重餅(はぶたえもち)のような頬をした幼い子が、この見知らぬ一見の客を見つめていた。カセットデッキから懐メロ演歌が流れている。ポケットからまさぐり出した10円玉まじりの湯銭を数え番台に置いた。

「小金持ちは金持ちだぁ~」などと節をつけて受け取りながら、番頭の土屋さん(67)、「ゆっくりと元気をもらっていってください」と頭を下げた。抜けた前歯の微笑みが、どことなし福招きの恵比寿さんに似ている。虚飾のない土着の塊(かたまり)が顔を崩し、ぽかぽかと陽がさしこむような笑顔だった。

沸かし湯ながら、よくあたたまる風呂だった。案内書きに、ドイツのバーデン・バーデン原産の「トロン鉱石」(医療部外品)を利用した準天然温泉(トロン鉱石人工温泉)と記してある。バーデンと言えば、かつて、温泉大王と異名があるローマ帝国カラカラ皇帝が〝奇跡〟と絶賛した屈指の天然温泉、それと〝ほぼ同質〟の効能を持ち、腰痛・神経痛・痔に効果あり、ということだった。

お客さんは地元中心に年間1万人余。湯のよさと福顔の番頭さんのもてなしが口づてに評判を呼び、近隣からの馴染み客も増えた。不況の風は市営銭湯にも及んでいるはずが、同じ北御牧地区の温泉「御牧乃湯」が入館者数を減らす頃、ここの売上は前年比20㌫余のアップ率、そんな数字が誇らしげだ。

施設の福祉的性格や収容規模から独立採算は無理としても、「わずかでも行政負担を減らしていかなければね」と土屋さん。受付、湯守り、掃除など日々の管理業務を一手に、年間ざっと470万円かかる維持経費をできるだけ自力でまかないたいと努めていると話してくれた。

「よくしたもので、人が人を招き人を寄せてくれる。私は番頭として日々積み重ねるだけ。この顔が恵比寿に似ているから拝みにきたと冗談まじりに言ってくれるお客さんに、変わらぬ湯のよさで応えること。大袈裟なことは何もありません」と。「またのお越しをお待ちしています。明日にも足音を聞かせてくださいな」。玄関先に置いたダンボール箱の中、黄金色の枳殻(カラタチ)の実が香っていた。

 ※ コンパクトな施設内に男女別の浴室が2つ。、ガラス越しに湯殿から浅間連山が見える。豪華さなどないけれど、ただぽかぽかと、福招きの湯。利用料金は▽65歳以上と小学生・200円 ▽中学生以上・一般は300円。ふれあいトロンセンターについてのお問合せは、東御市北御牧総合支所 ℡67-3311へ。

神保彰ワンマンオーケストラ東御公演

世界的なドラム奏者・神保彰さんのコンサートは6月12日(日)午後6時から、東御市文化会館特設会場で開く。

「一流ミュージシャンの生ライブを提供したい」として、同コンサート実行委員会が主催、東御ライオンズクラブなどが後援する。昨年、東御市が主催した初回公演に続き2回目となる東御公演だが、再演を期待する声が大きく、連続開催が決まった。弊社(㈱ジェイ・ステージ)が企画運営にあたる。

世界のファンを魅了する卓越したドラム演奏はもちろんのこと、ドラムに音程や音色機能を組み込んだ『ドラム・トリガー・システム』によって、楽曲そのものを一人で演奏するワンマンオーケストラを可能にした。従来の打楽器のイメージをはるかに超えるもので、ドラムファンのみならず、家族そろって楽しめるコンサートだ。世界的ドラマーの演奏を、手が届く距離で鑑賞できる。なお、会場の都合により、チケットは自由席と立見席を併せ200席に限定。近く、前売りチケットの販売を開始。

 神保彰ワンマンオーケストラ東御公演

▽6月12日(日)午後6時から、東御市文化会館特設ステージで(午後5時開場)
▼一般 自由席 4000円 (前売券)
▼高校生以下 自由席 2000円(前売券)
※200人限定(立見席含・公演当日先着順にて椅子席および立見席を配分 ※未就学児入場可 (座席不要の場合は無料)

 神保彰さん(じんぼ・あきら、52) についての詳細は ▽神保彰オフィシャルサイトhttp://akira-jimbo.uh-oh.jp/  ▽音楽雑誌リズム&ドラムマガジン2010年3月号 ▽国立音楽大学客員教授を務める人でもあるhttp://port.rittor-music.co.jp/drum/information/post-37.php  ▽神保彰ウィキペディアhttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A5%9E%E4%BF%9D%E5%BD%B0 などで紹介している。

祢津東町歌舞伎(東御市)

すみから隅までズズずいとッ……..ケヤキの新緑に風渡り、おひねりの花舞う舞台だった。

長野県東御市、祢津日吉神社の境内。小山の斜面にあつらえた野天井の桟敷席(さじき)はこの日、大勢の人でうまった。お宮の春祭にあわせ毎年行われる「祢津東町歌舞伎」の公演だ。

舞台道具入れの木箱「踊大小入」に記された年号から寛延4年(1741)を発祥の年とする土地の伝統芸能と聞いた。昭和63年に東町(約230戸)のみなさんが復興して以来、毎年4月の最終日曜日と決め、境内に建つ歌舞伎舞台の幕をあけてきた。「舞台仕込帳」と書かれた古くからの台本に残された演目は「5、60作はある」(同歌舞伎保存会)のだとか。

この日の演目は「菅原伝授手習鑑・寺小屋の場」。平安時代の貴族、菅原道真(すがわらみちざね)を題材にした人気の芝居で、菅原道真の遺児をめぐり、恩義に報い身代りにわが子をの首を打つ筋立ては見せ場ふんだん。「せまじきものは、宮仕えじゃなぁ」との名台詞も見所だ。

遺児をかくまう寺小屋の主・武部源蔵やその子の首を打ちにかかる松王丸などに扮した〝おらが里の役者衆〟は、義太夫語りを含め総勢21人。寺小屋に通わんぱくほか、6人の地元小学生の役どころも見逃せない。

祢津には、江戸時代に建立した歌舞伎舞台が二つある。この東町の歌舞伎舞台から家並みにそって街道を東へと向かうと健事神社、その境内にももう一つ歌舞伎舞台が建っている。間口約14・5㍍奥行約8㍍の木造寄棟造り、文化13年(1816)に建てられたもので、セリ分ケ・セリ出シ、舞台背景を転換する田楽返シ、床下の奈落から役者を登場させるセリ上ゲなどの舞台装置を備えるなど、往時の構造をそのままのこしている。ひとかたまりの集落の東と西の宮に建つ歌舞伎舞台。「舞台みるなら西宮へ、芝居みるなら東町へ」と両者の見所を特徴付け、多くの演目を互いに競った。

庶民文化が花開く江戸時代後期の文化・文政期、中央と時を同じくしてこの地には、江戸の華やかな文化が流れ込んでいた。江戸時代の祢津地方は、寛永元年(1624)から明治まで240年の長きにわたり旗本・松平氏の治領(祢津旗本領)だった。小諸藩主松平憲良の兄・忠節の所領で、石高は3465石(一石あたり150㌔㌘に換算するとざっと520㌧)、佐久地方の治領分を含めると領主の報酬(知行高)は5000石余り(750トン)という。

領主・忠節は、徳川家康の父違いの弟 (松平康元) の長男 (忠良) の側室の子。徳川家の血筋を引く名門であり、江戸には、約2000坪の上屋敷と3000坪の下屋敷を持ったという。「旗本の中でも、いかに有力層に属していたかがわかる」と、郷土史はまとめている。二つの歌舞伎舞台が登場の背景には、「天領」と呼ぶこの幕府直系の有力な支配があったことだろう。

歌舞伎舞台のその後の長い歴史の中で、その時々の村人たちがどんな思いでこの地芝居に興じたかは知れないけれど、時には災害や凶作が続き、おそらく芝居どころではなかった郷土史を眺め見るにつけ、今日に舞台をつないできた人々の根強さ…..祢津東町歌舞伎とは、伝統文化の継承とは、土着のパワーそのもの。

虎日誌

 行き倒れ寸前の子猫がふらふらと我が家にやってきて、居ついてしまいました。両目は目やにでふさがり、喘息気味。我家の番犬が吠えもせず、自分の餌皿に首を突っませたのが始まりです。

以来、二カ月余り。ワンはニャンを家族と思うか、ニャンはワンを親と思うか、不思議と気心が合う二匹です。野良生まれのニャンコと気の良い老犬と、十三本歯の男の物語です。


編集後記

世界最大級の最小通信「ダデヤ」は創刊の運びとなりました。記者一人兼編集長の還暦男のわがままを聞き入れ、ネット環境を整えてくださった地元会社オーシャンレスキューの上原社長様に紙面を通じて心から感謝申し上げます。ありがとうございました。