さくら、さくら・・・街道や峠道に、校庭やゲートボール場に、橋のたもとや堤に・・・人に寄り添うように咲き誇り・・・もうすぐ満開の花色だ。
去年は4月半ばを過ぎて雪だった。花に雪が降り積もり、久しくなかった桜雪。
今年はなぜか、桜便り(気象協会開花予想)のニュースが小さいのが気にかかる。列島の南から波を打って駆け抜ける前線がちょうど東北地方にかかるのは、この地とほぼ同じ時期だ。
さくら、さくら・・・古代色図鑑の桜色は、冬の純白の雪色に紅をほんの一滴を溶かした淡さ。「桜」の文字をなぞりながら「散る花びらの下に女と書く」と詠もうか・・・それはたとえば、描ききれない遥か彼方、夢まぼろしのようなもの・・・ほのかな女人の色香のようなもの・・・・
「一緒にお花見にでかけましょうか」、そんな声が欲しくもなる。
一足お先に、去年の桜(2010.4.17撮影)でお花見だ。
桜の道① 廃線は桜街道となった 小諸市押出 布引鉄道桜並木
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長野県小諸市押出地区。景勝・布引観音釈尊寺へと伸びる並木道はかつて鉄路だった。鉄道の開通時に植えた70余本と、後に地元保存会が移植したもの。千曲川を渡る布引大橋の下、河岸づたいにおよそ400㍍の桜並木が続いている。
布引電気鉄道は、大正15年12月(1926)に開業。小諸から布引観音を経て島川原まで7・6㌔㍍を結んでいた。42人乗りの小さな電車が一日18往復。当初は、終点の島川原の先線を延ばし、望月川西地方をつなぐ鉄路計画だったという。
しかし、布引参りの乗客は観音堂の祭日以外は乗客はまばら。始終ガラガラだったから小鳥の名前を取って「シジュウカラ電車」。発電所建設によって一時的に経営は持ち直したが完成と同時に再びシジュウカラ。赤字続きで電力の支払いさえ滞り、ついには強制的な送電停止も。開通からわずか9年後の昭和11年10月廃止した。
上空に流れ込んだ寒気の影響で、東信濃は記録的な春の大雪だった。
病や害虫に弱く、ソメイヨシノの寿命はもって六、七十年と・・・人の命に重ねるか。まれに百年の老木は、時代を乗り越えてきた者たちの風格だった。
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