my sweet home 

家の中で火を燃やしている。

煙にまかれてたまらず外へ飛び出すこともままあるけれど、ヒトが居る所に煙があるのは自然というもの。いつの日か、お坊さんの読経とともに静かに焚かれるその日まで、せいぜい煙に巻かれて暮らすつもりだ。

ボクの住まいは築半世紀。古民家と、そのようなものである。

スローライフとかいう時代の雰囲気からすれば、この古民家になかなか捨て難い味わいを抱く人もいるだろうけれど、不動産屋に言わせると 「住めなくはない中古物件」。つまり、ぶっ壊して建替えが安全というシロモノだ。戦後まもなくこの地に開拓に入った先住の持ち家だった。

床といわず、窓といわず、隙間風が音をたてて吹きこむ冬は、さぶくてたまらなかった。零下の夜を過ごしつつ「確か昔、“しみしぬ(凍み死ぬ)”といった言葉があったよな」 などと幼い頃を思い出した。火が欲しい、焚き火ができなきゃ死ぬかもしれない。暖炉を作ると決めたのだった。

川原へ出かけ石を拾った。庭を掘り起こしては泥を集め、家の中に持ち込んでは盛り上げた。もともとお金がないから、自力でやるしかなかった。部屋の真ん中に石山がもりあがるにつれ、せがれたちは、「家の中に墓を築くつもりか」 とあきれた。ただ、「石造りの暖炉で焼き芋を焼くのもいい」 と言った時だけ、「それじゃあ、ピザも焼こうぜ」と食いついたけれど、結局、手を貸すつもりはないのだった。

ひとつふたつと川の石を集めてきてはセッセと積み上げるその様は、賽の河原の石盛りとでも映るだろうか……せめて百八つあるという煩悩の数を積み上げて、護摩を焚くように炎をあげて、世の平安を祈るのもいい、と居直った。

今時、危険極まりない行為だから、手づくり暖炉など誰にも勧めない。しかし、朝餉(あさげ)夕餉の煙、風呂焚く煙、ストーブの煙と、煙がのぼる暮らしを夢に見る。ボクは煙突のあるこの家が大好きだ。

 

冷暖完備の電化住宅に、ストーブをあつらえたがる種族とは、少し異なる点を強調しておきましょう。雪の降る日は暖炉の火を眺めつつ読書がいい、揺り椅子にもたれ、傍らに愛犬が寄り添いそんなけっこうお洒落な仕立てをボクも描いたりするから困るのだが……要するに、ボクの場合は、生存にかかわる火種であって、たぶん、百五十万年前に焚き火をしていた原人たちと同じあたりで火がほしかった。ヒト本来の筋金入のDNAが、焚き火をしないと生き残れないぞ、と騒いだという辺りでしょうか。

今時、オール電化の時代ジャン!電子でチンの時代ジャン!なのであって…… ところが、ボクは電子レンジひとつにしても、未だ何故あたたまるのか、一応理屈は分かるけれども腑に落ちない。回転する皿を一分二分と見つめ続けるのは、「もしや爆発するかもしれないね」 といった期待とも不信とも言い難い興奮がどこかにあるからで……そのうち時代が進み、電子レンジの斎場ができたりして…..などと馬鹿げた想像沸いてきたりで…..ごめんこうむりたいものである。

環境にやさしいスローライフは、結局、身一つが頼りのハードボイルドだから、重ねて言うけれど、決して他人様に勧めない。

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