猫の寿命は何年か、調べたら、ギネス登録の歴代世界一長寿の猫様が出てきて仰天した。ヒトにすると152歳というからさらにたまげた(魂消た)。
この先まだまだしたいことがある身としては、化け猫であろうがなかろうが、長生きの秘訣を教えてもらいたい。
「 今度生まれて来る時は、僕、猫ちゃんになろうかな」などど……不覚にも思ってしまったスヤスヤの寝顔でした。
家庭から出る生ゴミや下水にたまる汚泥を集めて肥料にしている再処理センターという工場で、焼灰の検査をしたら放射性物質に汚染されている事がわかった。
「このままだとゴミ処理ができず、コンポスト肥料が作れない。みんなのゴミの始末がこの先できなくなるかもしれない」って、肥料工場のおじさんたちは頭を抱え、県や国のお役人に「どうしたらいい?」と相談したら、「肥料は出荷しないほうがいいね」って言うだけ。肥料を倉庫に置いたままどうすることもできず、20日あまり待ってたら、国のお役人から連絡があって、「汚れ具合がこのくらいなら大丈夫」という安全基準がきた。ところが、政府が頭使って考えたわりにはおおざっぱなもので、管理する法律があっちこっちで食い違っていて、工場のおじさんは「どうしたらええねん!どうせぇちゅうねん!」と腹がたったらしい。
今は、ナントカかんとか肥料をだせるようになったけど…..信用して大丈夫かなぁ?安全だと言うけど、放射性物質が入ってる汚染の肥料なんですけど…という話を難しくまとめたレポート↓↓
福島第一原発事故の放射能汚染で出荷を中止していた小諸市の浅麓汚泥再処理センター汚泥再生肥料の安全規定をめぐり、現場が混乱していたことが分かった。現在、安全とされる放射能測定基準をクリアしていることから、製品の配布を再開している。
小諸市の(浅麓環境施設組合)では、6月初旬に末端の最終埋め立て処分の乾燥灰から放射性物質を検出。後に、農水省が放射能汚染の安全規制を設けたものの、内容が大雑把で具体的な現場対応ができない異例の事態に陥った。放射能汚染した肥料の安全性をどこまで担保しているのか…肥料再開までの同処理センターの対応経過を追った。
浅麓汚泥再処理センター(http://members.ctknet.ne.jp/cenrok/odeisaisei.html)は、小諸市はじめ浅間山麓地域の下水道処理施設などから出る汚泥や一般収集で持ち込む生ゴミ、汲み取りのし尿などを原料にする再処理プラントを備える。環境循環型のリサイクル資源化施設で、硫安やバイオガスを抽出するほか、肥料「エココンポ」を製造し、肥料は収集区域の住民対象に予約配布してきた
6月○日、福島第一原発事故による放射能汚染に伴い自主検査を実施、埋め立て最終処分する下水系脱水汚泥の乾燥灰から、440ベクレル/kg(放射性セシウム134・137)の放射能を検出した。
環境中にある放射性セシウム(137()は核実験や原発事故などウランの核分裂で人工的に生じたもの。体内に入ると、排出されるまでの100日から200日に わたってベータ線とガンマ線を放射し内部被爆をおこす非常に危険な物質だ。肥料原料にこれが混入すると汚染製品を生産することになり、それを農耕地にまくと汚染が植物に移行する。
同センターでは、原子力対策本部の「製品出荷を自粛するのが適切」との判断を受け製品の出荷をやめた。
6月24日、肥料関係行政を所轄する農水省が「汚泥原料1㌔あたり放射性セシウム200ベクレル/kg以下」と安全規制値を出した。しかし、農水省がいう「汚泥原料」が具体的に何を検査対象としているか不明瞭だった。
汚泥再処理センターとはいうものの、生ごみなども主原料とする混合型の製造プラントであり、汚泥は原料の一つにすぎない。また、種類によって搬入処理の経路がそれぞれ異なる複数の複雑な処理システムの、どの種類の、どの工程の、どの状態の汚泥を検査するかについても明確でなく、現場対応がままならなかった。
安全安心を厳格にあてれば、肥料原料全般にわたる放射線検査の義務付けが必要だが、この原則に従うとなると、生ゴミ、し尿、下水系汚泥の種類別に、しかも、搬入時ごとの検査が必要となる。
また、もう一つの問題点として、この安全規制値を生ゴミに拡大するとなると、所轄の省庁によって違いが生じた。政府の安全基準に整合性がなく、場渡り的な印象を免れなかった。
農政省が示す規制を生ゴミにも拡大すると、家庭の生ゴミで多くを占める野菜くずも検査対象に加えることになる。野菜には、食品を扱う厚生労働省が食べても大丈夫とする「500ベクレル/kg以下」がある。原子力安全委員会が示した安全指標をスライドさせた放射能測定マニュアル(5月9日付)だが、農水省は「汚泥原料1㌔あたり放射性セシウム200ベクレル/kg以下」であって、厚生省より、2倍半も高い安全規制値を生ゴミに科すことになり、つまり、食べる野菜よりゴミの方が規制が厳しいという話になる。。
農耕地にまいた肥料は土壌汚染の濃度をさらに高め長期にわたって植物への移行を繰りかえすから、これを考えての厳しい規制ともいえそうだが、再生処理プラントに放射性物質の除去設備をつけるなどの方策でもないかぎり、生ゴミも糞尿も下水もみんな併せて集積処理するセンターにとっては、放射能レベルの凝縮増加はあっても減少は考え難い。
現場当事者が「無理難題」と思えてもしかたないお上の通達なのかもしれない。
同センターでは、、農水省通達の「肥料原料となる汚泥」に絞り、長野農政事務所などと対応を協議調整。堆肥発酵工程前の脱水消化汚泥を検査対象とした。
放射性セシウム(134・137合計)が「50ベクレル/kg」と政府の安全規制値をクリアしていることから7月14日、再開に踏み切った。
堆肥製品「エココンポ」は、小諸市はじめ浅間山麓エリア内の希望者に、当面の間、定例配布日の水曜日以外にも配布。10㌔袋詰は30円。
浅麓汚泥再処理センターの処理工程↓
2011年7月19日
ふがふがニュースのお時間です。 13本歯しかない男がフガフガとお届けします。リスナーのみなさん! と呼びかけても今日は3人…….今日は日の丸についてダラダラお話します。戦後生まれのボクには、好きな日の丸と、気分が悪くなる日の丸があります。戦争で負傷し背中に砲弾の破片を入れたまま半世紀余の間「取るのも面倒」と言いつつ逝った亡父の手前もあってね。自分の日の丸観を見つめておきたいと思うのです。さて、頭に浮かぶ好きな日の丸と、どうも具合が悪くなる日の丸を並べてみましょうか。
▽みんなで一緒にふる日の丸小旗….日の丸でなくてもマッピラ。▽校長が背にする壇上の日の丸….国旗はまだしも校長先生がと思うことたびたび。▽日の丸のハチマキ….1970 年昭和45年、作家三島由紀夫が市ヶ谷の自衛隊で、クーデター決起を叫び、割腹して果てた事件がありましたな。事件当時、ボクは田舎の高校生であって、ヘルメット姿の大学生にそそのかされるクラスメイトを「バッカじゃなかろうか」と思いつつ、剣道部でタバコなどふかしつつ大和心を磨いているつもりでいましたっけ。ショックだったのは新聞の現場写真で、荒れた画面の下あたりに小さく映ったヒトの首。小さく写ったその首をハッキリと見たくて見ようして級友の分厚い眼鏡を借りたものだからフラフラし….凄惨(せいさん)さと抱き合わせでひどくむかついた記憶です。やたらオゾマシかった。とても怖かった。「バッカじゃなかろうか」の比ではなかった。ニュースでは納めたがり屋の評論家が「三島美学の最終章」などと言ってましたが、ボクはショックでその程度の解釈では納まりがつかず「こうゆう血なまぐさい手合いが先の戦争を招き、地獄にひきずりこんだに違いない」と切り捨てました。大日本帝国の日の丸はちまきを、三島が持ち帰り、見せてくれた気がして、胸糞悪いやろうだぜ!と思いました。酒好きだったボクの父は、戦時もニッポンも語らず、刀で自腹も切らずに逝きました。▽幼い頃、祝日に祖母が決まって玄関先に掲げた日の丸….夕飯にうまい物が食えそうな、なんかいいことありそうで好きでした。▽運動会で騎馬戦の陣地に立てた日の丸 …ん?これは日の丸ではなく、紅白旗か。
▽好きな日の丸もうひとつ….第6回女子ワールドカップ(W杯)ドイツ大会は17日、フランクフルトで決勝が行われ、国際サッカー連盟(FIFA)ランク4位の日本代表は、3大 会ぶり3度目の優勝を狙った同ランク1位の米国と対戦、2―2からのPK戦を3―1で制し、6度目の出場で初優勝を果たしたそうです。オメデトウ。代表選手のほぼ全員が、日本の女子サッカーリーグ「なでしこリーグ」のチームに所属。その中で「最も待遇が良い」(サッカー協会関係者)と いわれる「INAC神戸」でさえ、「給料は月額で10万円前後。当然、家賃や食費もそこから捻出しなければならないので、練習に手製の弁当を持ってくる選 手もいる」(球団関係者)という状況だ。「そもそも給料が出ること自体が珍しいケース」と語るのは、代表のキャプテンでW杯5大会連続出場となる澤穂希(32)だ。「昼間に練習できるだけで恵まれている。代表でも多くの選手が昼間はレジ打ちなどのバイトをして生計を立て、夜に練習しています。私は神戸に所属しているのでサッカーに専念できていますが、昔のチームでは昼に練習なんてできませんでした」 =週刊post=
ふと、元・WBC世界バンタム級王者 辰吉丈一郎さんの言葉を思い出しました。「成功したいと思っている人間てどんだけおるよ、はいて捨てるほどおんのやから!でもな、そこで、まじめにまっとうしてる人間がおんねん。ごく稀にそうういうやつが…..そういう奴が天下とりおんねん。あともう一つ…..毎朝、走れってこと。
東御市のみんながたくさんお金(税金)を出し合って文化会館でやっているコンサートがあるでしょう。たまに有名タレントを招いたりもする文化公演です。その公演を自分の好きかってにできるとしたらどう?…でもね、それはメッ!駄目駄目のメッ!みんなのお金を好き勝手に使い独り占めしてるようなもんだからね。「さて、次はどんなスターを呼ぼうかしら? みんなで相談しようよソウシヨウ」と、こうでなくてはいけません。
以上のようなとても分かりやすい話をムズクしたレポート ↓
東御市が毎年2000万円規模の事業費をかける東御市文化会館の自主文化事業について、「極めて閉鎖的で不透明だ」との不満が市民から出はじめている。
現在、文化会館は指定管理制度の導入を機に、民間のNPO団体が運営している。指定制度の導入時に、旧文化振興係(担当行政組織・現在廃止)が行ってきた管理体制を踏襲する形で、行政は事業を一括民間に丸投げした。住民自由参加の合議による企画会議の設定など開放型の運営制度を模索すれば、さらに市民に近いものになったことだろう。しかし指定管理制度導入にあたり、踏み込んだ検討はしなかった。今、文化会館は、ほとんどの公演が市民の目が届かない民間業者(NPO)の手の内で独断的に決まってしまうという閉鎖的事態に陥っている。
チェック機能を果たすはずの文化会館運営委員会は、開催スケジュールが決まっている事業案件を後追いで確認するにすぎず、さらに、市教委直属の社会教育委員をも同時に兼任する一人の運営委員にあっては、NPOと委託契約を結びこの文化事業に直接参入するといった状況も出てきている。
この社会教育委員と文化会館運営委員を同時に兼任する委員は、イベント会社の経営者である。文化行政の民間委員を務める一方で、文化会館指定管理団体のNPOにも雇用され、その部署は『企画担当』。この部門は興行業者などが公演を狙って集中する自主文化事業の中軸となる重要な部門だ。NPOによれば「その職能を発揮していただける人材』と雇用の理由というが、この個人契約 (月額14万円) に加え、さらに、自分が経営する会社名義で、NPOから事業予算50万円の文化事業を請け負っている。つまり、公正をもってしかるべき文化行政の委員が一方では直接事業参入し収益を得ているということだ。
公・私の見境がまったくないのではないか…と同委員の道義的責任を問うたところで、行政の指導は、一民間業者内の人事には及ばない。指定管理契約はこれを認めているらしい。市民の目線にたてばきっと、不可解な“利権構造”が見え隠れする文化事業なのだ。
自主文化事業とは、東御市文化会館が自主企画するコンサートや展示などの事業をいう。今年度の自主文化事業は前年比ざっと550万円アップの2800万円をかける。開館20周年にあたることから数々の大型企画を盛り込んでいる。誰がどういった目的で公演企画をあげたか、全てを明らかにする責務が文化行政にはある。公演事業の特殊性を盾に専門家集団に丸投げでは話にならない。
このまちに生きることに歓びと誇りをもち、未来に輝くまちをつくるため…東御市民憲章の第4項には『芸術や伝統に親しみ、文化の薫るまちをつくります』とある。市民が謳う憲章である。お題目のみに終わらせるものではない、とボクは思う。
海の日2011年7月18日
ふがふがニュースのお時間です。十三本歯の渋い男がフガフガとマイクに向かいお届けします。 さてリスナーのみなさん……と呼びかけたところで、ダレモイネカ?
いよいよアナログテレビ放送の終了の日が迫ってまいりました。「二十四日正午から最後の終了お知らせする画面に切り替わってから終了」です。
1953(昭和28年)にnhk放送開始(長野県は5年度の1858年)、とほぼ同じ時代を生きてまいりましたが、これでボクはテレビとお別れします。
思えば幼い頃、近所の名家で見たのが私の初テレビ。長野県小諸市馬場町の、世が世なら屋敷に立ち入ることなど到底かなわぬ武家屋敷のお内儀が、近所の子やらを奥座敷に招いてくださった鑑賞会。雑巾とブリキバケツを玄関口に置き、泥足を洗い清めてからのテレビ鑑賞だったと思います。今 となっては、何をみていたかはうろ覚えですが、長屋住いの徳チャンちの愛犬の名は、当時の英雄・力道山から取った「リキ」でしたし、うちのスピッツ崩れのキャンキャ ン犬もまた、名犬「リンチンチン」にひそかにあやかり、リンチン、略して「朕(ちん)」でした。恥ずかし気もなく名犬「ラッシー」とつけたのは旧家の泣き虫ボンボンで、柴犬の雑種にラッシーはねぇやと笑いものでしたな。
リキの主の徳チャンは、天下の空手チョップを真似て、終には手を腫らし、それでも懲りずに鍛えるとか言って、砂バケツに手をつっこんで爪をはがしました。ボクはボクで、豆腐屋のラッパがなる度に遠吠えする名犬「朕」に呼応し、正義の味方に大変身。鍋を片手に一目散に、悪漢に見立てた豆腐屋のラッパを追ったものでした。
我が家にテレビが入るのは小学生の頃。東京へ出稼ぎに出ていた親父が、上野から片道8時間の鈍行列車の人ごみかき分けて担いできました。そりゃあもう有頂天で「テレビがきたぞ」とふれ回ったやに思います。
みんなが皆、新鮮でした。文明開化の足音でした。見る側も、そして番組を作る側も本気だったことでしょう。その影響力計り知れず、いまこうして自社のブログで冴えないながらカキコしているのも、もとはといえば、硬派のドキュメンタリー番組の感動をひきずっているからかもしれませんな。
それから幾星霜……テレビは様変わり。水戸黄門の印籠ではないですが、スカッとした正義の文脈では世の中何も語れなくなりました。昨日のニュースをいつまでも引きずって歩けなくなり……明日がどういうものか知らないけれど、明日へ向かって世は走りつつ、刹那のお笑いぐさで日々をしのぐようになっちゃった。自分の親戚の娘でもないのに、あっかんべ~(AKB)がどうしたこうしたと…..あるいは、パチンコは7の付く 日がお得だと….肥満解消にこの粒呑んだらほれこの通りと…..この肉やわらか~いと….どう考えたって知らぬ間に僕には微塵(みじん)の得もない情報が脳にしみ込んでいて、腹立たしくもなるのです、
ボクは、これを機にテレビを捨てます。これからはネットから情報を取りましょう。日長一日パソコンと向き合う暇なニートのものですって? 誰もがゆくゆく歳をとり、さすれば、みんなニートじゃございませんか、早いか遅いかの違いです。どうしても見なければいけない番組は、足を洗って人の家にあがりこむか、ヤマダデンキで立ち見します。ゴマンと流れる大河の水をちょっとすくって舐めるぐらいの情報でボクは充分なんですよ。
それでは皆さんごきげんよう。途絶の電波とともに吹くはずの画面の砂嵐にボクは埋まっていくのです。さようならテレビ、観自在菩薩般若破羅 ち~ん!
7月18日 、 怪獣「マーゴン」の襲来です
2011年7月18日1時30分発表 超大型で非常に強いマーゴンは、18日0時には南大東島の東約230kmにあって、北西へ毎時20kmで進んでいます。中心気圧は935hPa、中心付近 の最大風速は50m/sです。マーゴンは、18日12時には南大東島の北東約230km、19日0時には種子島の南東約150km、19日21時には足摺 岬の西約70km、20日21時には紀伊半島沖へ達するでしょう。マーゴンの周辺海域および進路にあたる海域は危険です、マーゴンの進路にあたる地域は厳重な警戒が必要です=気象庁サイト大型台風6号情報を一部編集、だれがつけたのマーゴン?)