日別アーカイブ: 2011年11月28日

ほくほくとしたよい日和だった。

紅紫色に染まる矢の根草の花先から、一筋の光が糸を引いていた。冬支度の鍬(クワ)を入れた庭のいたる所、無数の銀糸が陽に揺れていた。しかし、見開いてみたり、細めてみたり….目を凝らすのだが、か細すぎてどこに焦点をあてていいのか、分からない。見つめるでなく、ただ瞳を中空に浮かせていると、やがてはじけるように見えてくる微かな光だ。

蜘蛛(くも)の遊糸か?

晩秋に巣立ちを迎えた蜘蛛の糸が風に舞い、タンポポの種のように子を運ぶと聞いたことがある…だとしたら…地蜘蛛の子だろうか。

蜘蛛の子が散る、か?

ちいさなちいさな巣立ちをこの目で見たいものだが、老眼乱視の肉眼では微々として見えなかった。が…..一瞬、ふわりと、ちいさなちいさな、とてもとてもちいさな命の粒が糸を引き、目の前を流れたような…..そんな気がした。


猫は座禅をする

我が家の雌猫ミータンは、いい面構えをしている。禅を教えたことはないけれど、常に丹田(たんでん)に気を溜めて充実して暮らしているような気がする。

今日、猫は、「正座で禅をしていた」と思いたい。いつもながらボクの軽トラのエンジン音を聞き分け飛び出してきて、猫なで声ですり寄りつつ、助手席に置いた安売りの冷凍秋刀魚二匹で100円パックを虎視眈々(猫目耽々)と狙っていたわけではない。

味をしめた買い物袋を狙うのも、猫の悟りかと思いつつ…..今日、猫は、屋根に沈む冬陽に向かい瞑想していたと思いたい。

餌にありつきたい一心で飼い主に敬意を表し、「きおつけ~ッ(気を付け)してみせたにゃぁ」などという話にはしない。