日別アーカイブ: 2011年12月15日

三界の供養塔

震災から数日後の罹災地の映像が今も脳裏に焼きついている。

「行方知れずの身内を探しあぐねているのかもしれない…」 テレビカメラは一人の婦人の深くうずくまった後姿を写していた。倒壊の自宅から探り出した衣類を着込み数日をしのいだであろう、丸く膨らんだ重ね着姿のその婦人は、自衛隊車両が行きかう泥濘の道にしゃがみこんでいた。  彼女は、しきりに指をからめては汚れを落とすような仕草を続けていた。こすればこするほどまとわり付くヘドロの滑り… 灰色に染まる泥の爪先を見つめながら、ただ呆然とした様子でせわしなくそれを繰り返していた。その指先が小刻みに震えていた。見放せば彷徨い(さまよい)かねない自我の意識を、懸命に繋ぎとめているかのような両の手だった。瀬戸際で持ちこたえた命がまだ紙一重の危うさの中にいる気がして、いたたまれなかった。  ニュース情報を漁ればあさるほど、殺伐とした思いがつのった。土壇場で役にたたないこの国の政治…と思った。国はいらないとさえ思った。テレビ中継の画面を相手に毒づいていた。 しかしそれが内を向いた。「オマエ二いったい何ガ出来ルノ?」

あの日、ほぼ同時刻に地面が揺れ、その後も地震速報が出る度に身構えたというのに….あれから9ヵ月が過ぎた今、2万人もの無二の人々が一時に失われたというニュース=死者数1万5841人(うち身元不明約680人) 行方不明者3493人・警察庁12月9日=をまるで遠い雲をながめるように聞く自分がいる。町の食堂で震災向けの募金箱につり銭を入れることはあっても、ボクが何かの役にたった、などと言えるはずもない。

かつてボクは大仰に書いたものだ。「いかなる時の流れも、いかなる混迷も、全ては個に帰結することを思う・・・唯一無二の輝きを放つ者、それもまた、この個だ・・・・」と。今ここにいる自分を基軸にしないで何を伝えるというのか。私のニュースは身の丈でいい。自分が責任をもって言えることだけを記していこう…そんな思いの中で書いた信条だった。

全ては個に帰結する・・か、それはあたりまえな事なのだが、震災で失った命の数を前にする時、ずいぶん冷酷な言い草であることだらう。ナラバ、オ前ハ、コノ先、ソノ 無二の輝 トヤラニ、どう向き合っていくノ?

ボクはもう一度ここから考え直さないと、何も始まらぬ気がしている。

 =写真=三界供養塔(立科町芦田