年別アーカイブ: 2012年

小諸散歩

 小諸城址の南、馬場町…「昔、馬場なり(乗馬や競い馬をする所)、侍屋敷15軒、内1軒は家老屋敷」と古記録にあるその通りの裏露地にボクの家はあった。

通りには共同の水道場があって、そこからの水汲みが日課だった。天秤にブリキの一斗缶の柄を掛け、よろめきながら自宅の水がめやドラム缶風呂へ水を運んだ。戸(城下の警護所)があったという無縁橋を渡って松井川を越えると、そこには「殿様のお墓」がある。殿様の墓石は瓦葺の屋の内の立派なものだったからさすがによじ登らなかったけれど、手ごろな墓石のてっぺんにはことごとく立った。近所の子供等が皆して墓の頭に居並ぶ姿…墓場の東南の谷にあった斎場(火葬場)から立ち上る荼毘の煙を煙幕に見立て、煙の中からさっそうと登場する風呂敷マントのヒーローとなって駆け回ったものだ。

懐古園(小諸城址)や七軒町、馬場裏(侍屋敷)、千曲川へと逆落としで下る時雨坂から中棚(島崎藤村ゆかりの鉱泉)にかけ、一帯はボクらの縄張りだった。千曲川にかかる戻り橋を挟む村部の屈強な子供連をも寄せるものではなかったし、商家で鳴らした街部の連もまた寄せなかった。毎朝、新聞配達で駆けた道…..朝鮮戦争の特需を足がかりに神武(天照)景気、岩戸景気へと、高度成長がはじまる昭和30年代….古城区馬場町ガキ軍団の思い出だ。

それからこの街は、どう変わった…..1128年(大治三申年)に遡り「小諸郷」と地名を遺すこの地である。辻に置かれた碑の丸石ひとつにもふと歩みが止まる歴史の街だ。ゆっくりと時間をかけて生まれ故郷を歩いてみようと思う。

 島崎藤村が、小諸義塾の教師時代(明治32年(1899年)4月ー明治38年4月)に歩いた頃の小諸の風景がある。

町家の軒を並べた本町の通りを一瞥(いちべつ)して…田圃(たんぼ)脇の道に出た。 裏側から小諸町の一部をみると、白壁づくりの建物が土壁のものに混って、堅く石垣の上に築かれて居る。  中には高い三層の窓が城廓(じょうかく)のように曇り日に映じている。 その建物の感じは、表側から見た暗い質素な暖簾(のれん)と対照を成して、土地の気質や殷富(とみ)を表して居る。旧士族には奇人が多い。 時世が、彼等を奇人にして了った(しまった)。もし君がこのあたりの士族屋敷の跡を通って、荒廃した土塀、礎(いしずえ)ばかり残った桑畠などを見、離散した多くの家族の可傷しい(いたましい)歴史を聞き、振り返って本町、荒町の方に町人の繁昌(はんじょう)を望むなら、『時』の歩いた恐るべき足跡を思わずにはいられなかろう島崎藤村「千曲川のスケッチ」から抜粋=      

『時』の歩いた恐るべき足跡を思わずにはいられなかろう…..か。士が枯れ、商が栄えた時代。与良町通りにも古い商家が残っている。

心は未だロッキング ダンスフェスタ

 ダンスがブームである。

「地元の東御市文化会館でダンスの発表会はできないかしら」

一人のママさんがそう言った。市内のヒップホップダンス教室で幼い我が子とダンスを楽しむ若い婦人だった。若い地元のダンサーと一緒に、数人からはじめたママさんたちの教室は瞬く間に数十人が集まる大所帯に育ったと聞いた。

ボクは流行には甚だうといけれど、フラ(フラダンス)やフラメンコに熱中するご婦人の姿をよく見かけた。ご老人が通う公民館の健康教室でもあれは体操というよりは踊りであって、演歌にあわせて肩や背筋を伸ばしているのだった。

ママたちは言う。「子供たちの野球やサッカーなどスポーツ大会はあるけれど、ダンス大会はこの地にはない。イベント会場に招かれて踊るがせいぜいであるぐらいです。踊る機会が欲しくて出演するけれど、主催者にすれば客寄せのアトラクションの扱いだから、衣装の着替えする場所すらない。一度、是非、子供たちの姿を見て欲しい」と、誘われた。

 昔、駅前で踊る若者に話を聞いたことがある。「何故に君らはズボンを下げパンツ見せるようなだらしない風体で踊るのか?それも人通りの激しい駅前の歩道でだ」…..オヤジの高飛車な問いかけは無礼なものだったに違いない。「帽子というものはひさしを前にかぶるものだ。なぜフードで顔を隠した上に横向きにかぶるか?みっともない!浮かれてないで勉強しろ!それがお前たちの本分じゃないか」…ガチガチと凝り固まった感性だろうが、これが本音だった。高校生だというその若者は言った。「仲間と待ち合わせするには駅前がいい」。誰か他の仲間も来るかもしれない…と彼は言った。ロッキング、とかいう楽しいフリまで教えてもらった。気のいい爽やかな若子だった。ショーウィンドウのミラー越しに、行き過ぎる人波が流れた。

人が集うところダンスあり….楽しいからダンスなんだ….ダンスは人を招く…ダンスは力を持っている、ダンスはいい。地元東御市文化会館でダンスの祭典を開こうか。

誰にも覚えがある学芸発表会ではない、一流の芸術公演をいくつも披露してきた756席収容の檜舞台での本格公演…企画を詰めた自宅や学校や体育館や公民館や、あるいは街角の通りや広場で踊る巷のダンサーを、ジャンルを問わずに舞台にあげる。老いも若きも幼きも、無論ハンディのあるなしもなく、無制限に出演者を募る。(ちまた)のいわば名も無き趣味のダンサーを一個の個性的なるアーティストとして扱う…ボクらはこれを基本に据えた。

開館から20年を迎えた町の文化会館が主催する記念事業の枠から薄い予算を取り付け、市民公募によるボランティア実行委員会で自主運営する企画をあげた。「我が子のダンス発表交流の場が欲しい」と願う市内のダンス教室のメンバーが実行委員に名乗りをあげた。手弁当、ダンスにひたむきな情熱を傾ける子供たちとその母親だ。公営の大きな文化施設をリハーサルを含め数日間押さえ、照明、音響やらの舞台設備をフルに使う。文化会館運営が指定管理制度導入に伴い民間の手に運営の一部が移ったことで可能となった文字通り市民主導…行政の言葉でこれをくくれば、「市民主導の行政との協働によるダンスフェスタ」ということだ。

フェスタ運営の成否は、この実行委員会の肩にかかっていた。素人の公募市民の情熱で、これが可能となるなら、これほど新鮮で痛快なことはないと思った。運営事務局を行政庁内に設け職員がこまごまと準備をすすめるしかなかったこれまでの行政主導による市民参加ではない。行政は指定管理制度を通じてこれを見守りサポートするだけ。舞台の主役も市民なら、企画から運営一切も市民の手による。これは自ずと「自主自律」の責任をダンサー個々にも問うものだった。 

総合プロデューサーを引き受ける際、私は実行委員に念を押した。「フェスタを皆さんは本当にしたいのですね」と、本気の度合をボクは計りたかった。出演者公募、折衝、スケジュール調整、スポンサー募集、広報、公演会場運営、ほか山とある準備の雑務を一手に引き受け、忙しさに本番当日の我が子の舞台さえ見れないかもしれない。硬固で柔軟な組織が必要だった。

主催者となった東御市文化会館は、出演者の企画演出要望を全面的に受ける姿勢で、「舞台技術体験型」を採り、舞台を開放した。市文化会館主催事業としての補助金のみでフェスタ事業がまかなえるはずもなく、多くの事業者や企業の皆様から大きな協賛を得ながらの開催となった。

▽第1回ダンスフェスタ  平成22年11月21日 (収容756席) 出演者総数250人、入場者数650人 ▽第2回ダンスフェスタ 平成24年2月19日 出演者総数約400人、入場者数1000人

多くの方々の大きな協力のもと、ともにうみだすみらい、とうみダンスフェスタは、まずは成功したと思う一方、会場を埋めるたくさんの観客を眺めつつもなお、これで終わりとはボクらは考えない。裏方として、安全第一に無事終えたことへの安堵感があるだけだった。イベントは予想の付かないことが多々起きるのが常….運営上のミスも表面化し、完璧だったなどとは言えるわけもない。ダンスフェスタの継続に緻密な企画の精査が必要だろう。 

公演を前に忙しく刷った会場向けのプログラムの校正ミスから、主催者を東御市文化会館とするべき所を文化会館の文字が抜けて東御市となった。訂正をかけはしたものの、来賓席の市長から直接、強く注意受けた。東御市主催と東御市文化会館主催の違いは、実行委員会のキッズやママさんにとって別にどうでもよい話だ。ともにうみだすみらい東御のフレーズの下、わがふるさとへの思いがあるだけだった。しかし、東御市主催となると市長は来賓席の人ではなくなる。事業自体の本質が変わる。あってはならないミスだった。主催者の文化会館には運営責任者であるボクの辞任の意を添えて謝罪した。翌日には文化会館の館長が経緯を説明し「間違いは間違い」として市長室に出向いて謝罪した。当然とるべき公施設の厳格さだ。ボクらは表には出ない黒子である。しかしダンスフェスタ開催の責任者であることは、市長自らが会場で公にしてくれた。責任をとるべきはボクだった。

実行委員会の皆様の中にも「実行委員会はほんとうに必要?」と運営のあり方に疑問を投げる声もあると聞いた。

時流に乗ったというわけではないが、ダンスフェスタの運営総括を務めた。踊りといえば、幼い頃の盆踊りと、高校時代のフォークダンス、インドシナのキャバレーでガラス越しに招く綺麗な金魚姫と一緒に揺れた記憶….いづれにせよ、人前で自慢できるダンスはない。

今回の第2回開催を機にボクは総括責任の任を降りる。別のステージで我流のステップを踏もうと思う。心は未だロッキング……ダンスフェスタ実行委員会の皆様、お後はよろしいか?

ノンノンorノンフィクション

ノンノンorノンフィクションとは、「この世はフィクションであって、ノンフィクションと思えるものも実は絶対ではないのだよ」 というボクの思い。記事カテゴリーに加えました。

ボクはジャーナリストではありません。ジャーナリストじゃ食えないので、ハローワークへもよく行きます。が、還暦近いのでどこも雇ってくれません。先日偶々どういうものか地域優良企業と名高い会社へ紹介され警備室勤務を拝命しましたが、社長さんに馴れ馴れしすぎたせいかなにかでケシカランとかでたった一週間余りで首。「ここの社長は天性のアホだなぁ」などと言い出しかねないオーラを発しているのかもしれません。じゃあ、またね」と片手をかざす挨拶はよくしますから 「ジャアナの爺さん」 と思ってください。

さて…..記事掲載するや否や「名誉毀損だ」などと、わが身(ダケ)可愛さの族に騒がれるのは面倒です。お偉いさんには何かとその手が多い事もあり….つまり「自分が分かっていないことが全く分からない輩」を相手にするほど煩わしいことはありません。だから、「ノン・ノンフィクション」でもあるのです 。机上の論法でもあるまいに、理路整然と問題の根本的な解決策などというものは、ありそうで実はないのが世の常であって….あれもこれも百花繚乱の論あってこそ良し。互いに好きなこと事をこきまくって、肩を抱きあい笑い合い、仲良しこよししている のが 健全 というものです。

ノン、ノンフィクション…これを「作り話かもね」と訳し、軽く受け止めてもらうのがよいのかもしれません。どうぞ健全なるお心で、併せて「ノンフィクションではない、こともないかもね」といった上等の感性をお持ちいただきまして、お楽しみいただきますように。

何を言ってるのか分からなくなりつつありますが….カテゴリー「ノンノンフィクション」の説明でした。

 

銭を喰らう魔物かな//市文化会館自主文化事業

 人の趣味趣向は多種多様….個人が身銭を切って好きな道楽に興じる分には誰も文句は言わないが、その銭金が公費(税金)となれば話は別だ。これまで、「特殊な専門分野」であるなどを理由に見過ごしてきた伏魔殿。「文化」という名の金喰い魔物をあぶり出しましょう。記事カテゴリー「ノンノンフィクションアワー」の開演です。

2月16日(木)、東御市文化会館運営委員会。この席で、総額ざっと2200万円の年度会館主催事業の概要が固まった。文化会館自主文化事業の予算額は前年比600万円減の1800万(18,367,000円)。昨年、開館20周年記念の能楽など大型公演を終えたものの、未実施の開館記念事業(文化協会合唱部会による市民運営委員会方式によるオペラ公演)の繰越し実施分450万円を合算すると、実質2,280万円となる。

公演内容を含め、こうした内部の事業計画は求めない限り、一般公開することは滅多にない。文化会館(民間NPO)にすれば公演日程の変更や中止などの可能性もありえることから計画段階の事前公開は避けたい方針だが、事業計画はもともと公開原則にしたがうべき筋の情報だ。すでに運営委員会という公の席で報告承認した時点で公開すべきと思うが、行政もまた、幹部クラスの判断を待たねばならぬほど公開に慎重だった。この自主文化主催事業費は現在、市議会で審議中の来年度予算教育費項目に大枠で含むものの、市文化会館指定管理業務委託費(NPO収入)68,051,000円 の内で処理され表記されない。肝心のところが藪の中では、原資の税を託す市民はまるで木偶の坊(でくのぼう)の扱いと、ボクは思う。

市行政(市教委・社会教育課・生涯学習係)は、会館条例や指定管理委託契約をラインとして、現場(指定管理団体・NPO)の具体的な企画決定には直接的に踏み込めない。「興行公演などは特殊で専門的だから一般には扱えない」といった文化行政の及び腰もある。しかし、行き過ぎた現場任せは、地域文化の柱となる会館本来の意義(地域文化創生など)の基本的使命までも、指定管理企業にあずけ放棄することにつながりかねない。芸能興行の特殊性(配給会社との折衝や契約、公演準備ほか)を理由に、文化会館を一部の者だけの伏魔殿と化してはいけないということだ。

 自主文化事業とは、開館から20年にわたり毎年2千万円規模を注ぎ込む会館が企画する公演。現在、同会館を五年契約で指定管理する民間NPO法人が作成した。文化会館(NPO)は、市民からの要望企画をどう汲み上げたか。会館運営を仕切るこの委員会の提案をどう盛り込んだか。さらに、「文化会館を考える集い」であがった市民要望は反映しているか。公演個々に市民文化醸成の精神はあるか。 

 さらに、文化会館運営の基幹を担い将来を見越した運営構想や戦略を徹底的に審議するはずの運営委員会(市長委嘱、11人構成=文化協会長・社会教育委員・子育て団体代表・公民館長・校長会長・老人クラブ連合会長・小中吹奏楽部顧問・農業青年クラブ・公民館講師パート=)も既に、指定管理団体(NPO法人)に全面的に依存し形骸化している恐れはないか。「運営委員会は事業計画の審議機関ではない」(NPO法人)…事業計画は運営委員会への報告説明を終えた時点で実施に向かう。ここに文化会館の将来を見据えた方針や戦略はない。文化会企画そのものを提案する公募制度やこれを審議する制度が未整備であることもあり、会館主催事業は指定管理団体の今や独断場だ。さらに言えば、この運営委員会の前委員の中にはNPOから直接業務委託を受け、報酬を得る者も出るというお粗末さ。これが社会教育委員までも兼任していた事実があるのはどうしたわけか。

関係の皆さんに代わって、東御市文化会館自主文化事業計画を公開する。

 「文化」についてのボクの判断基準はただ一つ。私の暮らしにそれは必要か否かだ。たとえば、喰わねば死ぬ主食のお米と公演を比較してみる。ちょっと極端だが、残り少なくなった米びつの蓋をあけて、米を買うか、それとも芸能チケットを買おうか、と考えてみる。

公演の主役は、テレビにやたら出てくる有名人だとか、可愛いくて顔が小さいとか、やさしいとか、歌がお上手とか、オペラや能楽は高尚なもんだとか、これぞ芸術とか…そうした評判はどうでもよい。明日の米とひきかえにできるかどうか….これが基準だ。

今年度市文化会館自主文化事業計画(※現在企画中の事業も含む)

 1、6月開催 「ベッキー(サンミュージック)」  ▽事業費 630万円 (出演料等380万円) ▽入場料等 3千円(赤字見込327万円)▽出演料 380万円 ▽宣伝広告、音楽著作権料 60万円 ▽人件機材外注関係 90万円

 2、6月開催 「メリーウイドウ、新たな一歩開館20周年記念事業(合唱部会)」(前年度繰越事業) ▽事業費 450万円 ▽入場料 2100円(赤字見込300万円) ▽出演料等 350万円 ▽宣伝広告費、音楽著作権料 20万 ▽人件、機材、外注関係 80万円

 3、9月開催 「演劇『モモ』 劇団・うりんこ公演」  ▽事業費 250万円(入場料1000円) ▽出演料等 198万円 ▽宣伝広告、音楽著作権料 32万円

◇演劇体験講座 ▽事業費 80万円(入場料1000円) ▽出演料等 57万2千円 ※公演事業と講座を併せ、赤字見込額290万円

 4、9月開催 「映画、昔の名作選、『ローマの休日』ほか」 ▽事業費 34万円(入場無料、赤字額32万円) ※委託業者未定(約25万円)

5、11月開催 第2回市総合文化フェスティバル(文化協会) ▽事業費 25万円 ▽入場無料

6、12月開催 クリスマスピアノコンサート(公募発表会) ▽事業費 30万円 ▽入場無料 ▽出演料等 15万円

7、時期未定 市民参加型イベント(3月頃を予定) ▽事業費 90万円 ▽入場無料※公募による企画採用、ホールのみ開催 ※実行委員会による運営

8、2月中旬 「木の仕事展」 ▽事業費 28万5千円▽入場料 1000円▽販売

9、年5回 ホールミニコンサート ▽事業費 568万円 ▽入場料 1000円(売り上げ150万円、赤字見込418万円) ▽出演料等 500万円 ▽宣伝、音楽著作権料 63万円

10、月1回 FMとうみ「夜会」 ▽事業費 201万円 ▽入場料 100円 (赤字見込 195万円) ▽出演料等 132万円 (12グループ出演)

 文化をことさら高みに祀り上げる人や、芸能タレントに明日のお米と同等の価値を認める人は、きっと論外な見方となるに違いない。今年度自主文化事業、その芸能公演、文化公演は、必要か……

もう一度確認するが、「ベッキー(サンミュージック)」 ▽事業費 630万円 (出演料等380万円) ▽入場料等 3千円(赤字見込327万円) ▽出演料 380万円 ▽宣伝広告、音楽著作権料 60万円 ▽人件機材外注関係 90万円…..事業費630万円を大雑把ながらお米に換算すると白米14,5トンだろうか。

一人の芸能人を囲む食卓に、特級銘柄のブランド米630万円分(白米10㌔袋4500円)14㌧が用意された。7百人ほどが集まり、2時間ほどの晩餐会だった。この日一番の大食漢は舞台上の芸能人で、用意した飯の半分以上、およそ8400㌔㌘、市販にして380万円分を一気に喰って見せる。むろん一人じゃ喰いきれないから、お付の者も陰でこれを喰う。用意した残りの米は、地元の広告屋やらなにやら晩餐会産業に味をしめた者への振る舞い飯だ。「みんな最高!お腹いっぱい食べるのよ。よく噛んで味わいながらね!」…集まった7百人余は、それぞれに自宅から白米7㌔㌘を持ち寄って一緒の食卓に座った。しかし、自分が持ってきた米を少し食っただけで、それ以上は喰いきれるものではない。 

 ノン・ノンフィクション 『大飯喰らいのキャサリン』 へ続く

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朝日新聞WEEKLY「AERA (アエラ)」にチョッピリ協力

かの有名週刊紙に載りました…ナドト、他人様のふんどしお借りするような真似は好きではない。資本金が何億だとか、発行部数が数十万部あるとか、そうした影響力を誇示するメディアの大看板には、敬意を払いこそすれ、どうでもいい。そもそも同業であり、ライバルである。

無名とはいえ、ダデヤDA-DEYAは自由に創り生み出す世界にいる。零細弱小の経営事情でさえ「清貧」というものであって、自主独立のネットジャーナリズム世界に身を置いている。とは言うものの…

我が家(ホームページ)は、編集発行人の常々のテイタラクのせいで危機的状況にある。お手柄とおぼしきモノは、多少尾ひれをつけてでも披露しておかないと、身内の信用さえ失いかねない。背に腹は変えられずというわけで…

朝日新聞WEEKLYAERA 10月3日号「原料は放射性下水汚泥、汚染肥料を無料配布」=記事・ジャーナリスト樫田秀樹さん=の掲載にあたり、写真原稿を提供したことを報告します。以下、東京で学生生活をおくる次男坊への電話報告をもって、この顛末の記事とします。

「 もしもし、元気にしてるか?…ご飯は食べているか、米はまだあるか?ジャガイモ送ってやろうか(中略)…」

「お前がネット情報強者であることは重々承知している。紙媒体はすでに時代遅れだと思っていることも分かっている。しかし、突然の話でなんだけど・・東京は中央区築地界隈の朝日新聞社を知っているか?昔、西洋ネズミのところ(東京ディズニーランド)へ連れって行った時、首都高速道からその本社ビルを見たことがあると思う。そのビルに同居する系列の朝日新聞出版という会社がある。そこがアエラという週刊紙を出しているのは知っているか?

細かいことを言うようだが、(株)朝日新聞社(秋山耿太郎代表取締役、資本金6億5千万円、社員数約5316人)の直系である(株)朝日新聞出版 (宇留間和基代表取締役社長、資本金8千万円、社員数約175人、売上高約132億円)が発行する朝日新聞WEEKLYAERA (尾木和晴編集長、発行部数246,592、定価380円)だ。

ん?話がチンタラとまわりくどい…電話料こっち持ちなんだから、お願い!も少し黙って聞いて頂戴。

そこに腕のいい記者さんがいて、俺が書いたダデヤの記事にいたく感激して、写真だけでも拝借したいと言ってきた=ダデヤ掲載 7月24日付=数多の報道記者さんたちが昼寝している隙に、一応スッパ抜いた記事だ。おそらく仁義を通したのだと思う。本来なら編集長さんじきじきにお願いして欲しいところだが、天下の大看板の頼みとあっちゃぁ、ムゲにもできまい。お前も知っての通り、震災報道で「放射能がくる」って防護用マスクの写真付きでデカデカと表紙に載せる姿勢=AERA 3月28日号表紙=が俺は好きだから、写真を貸すことにした。

掲載になったら駅の売店にでも売ってるから、見て欲しい。ナヌ?一冊380円なら豚丼特盛り喰えるってか…わかった、わかった!寸志ぐらい出るそうだから、今度、東京から戻った時に、その分ご馳走してあげる。焼肉食い放題にでも行こうじゃないの」

※その後一年過ぎても寸志は出なかったので、もはやこれまで。

参照 ▽ジャーナリスト樫田秀樹さん http://homepage2.nifty.com/kasida/ ▽アエラ http://www.aera-net.jp/ ▽ダデヤda-deya http://da-deya.com/?np=14