日別アーカイブ: 2015年12月6日

暦 2015年12月

「立木」 2015年12月11日(金)雨曇りブナの木我家は煙が絶える事がない。築半世紀以上の古家を購入したものの、風呂も暖房も薪なしでは過ごせない。冬ともなれば隙間風防ぎようも無く、連日連夜、それこそ之を仕事に懸命に薪ストーブを焚き続けている。 毎日、ストーブの灰をかき出しては畑に撒き、チェンソーを唸らせては薪を作る。露地のいたる所、切り粉と灰で斑模様だ。

水田の際にあるこの立木の伐採を頼まれている。人の胴回りほどの太さに育った楢(ナラ)の大木だ。 「強風で倒れでもしたら土手ごと稲田を台無しにしかねない。葉が茂ると稲に影を落とす。この田だけ育ちに斑ができる。伐って薪にでもしてくれれば助かる」と、隣屋の主人からの依頼だった。

 主は言う。 「昔はさぶかった(寒かった)。重い綿布団の口元が息で朝には硬く凍みあがった」。今でこそ屋根に発電パネルを置く立派な家でホクホクと冬を暮らしていなさるけれど、以前は僕の古家と同じような造りの家でお暮らしだったと言う。薪で冬越す難儀さはご承知だろう。 火を焚き暮らす僕の姿を 「街場の暮らしに厭いた者の酔狂だ」と笑いつつも、.「この木を伐って焚くがいい」と言ってくれた気がしている….近く温もりを感じつつ、僕は今夜も火を焚いている。

「井の中の蛙」 2015年12月06日(日)曇時々晴電線蔦ネット検索すればひと通りの巷のもの事は解説付きで拾える時代になった。夜も昼もなく電子網の回線を開けっ放しに多種多様な情報を拾い集める者たちは、青瓢箪の小僧にして情報強者だ。 例えば我がセガレにして埒も無い国際的戦争ゲームに始まり、政治経済ネイチャ芸能芸術歴史科学、そしてある事ない事諸々の噂の類….三流大学府の教壇に立てるのでなかろうかと思う知の量だ。津波の如くに押し寄せる情報の波間に漂いつ、よくも溺れもせず、呑み込まれもせずフワフワと情報の大海原を越えていく。その様を僕はクラゲと呼ぶ事にする。

このクラゲ殿に向かい「そこの若い衆よ、そなたは奇をてらう末梢の情報に浸りすぎではあるまいか?ものの道理の本源を知ろうとさえしていないのではあるまいか?」と言ってみようか親父が後生大事に抱く道理やら真理というものを語ってみましょうか。 そうしたところで、耳にイヤホン当てたまま聞いているのかいないのか「まぁそのようなお考えもある」などとほざき、この老骨の渾身の諭しさえ、海流に漂う藻屑、一抹の泡と消えることでしょう。 流れる波間にただ漂うことをヨシとしないこの老骨の習性は、クラゲ殿からすればきっと、「結局のところ泳ぎを知らず回遊も知らず、やがて溺れ死ぬ運命」と映るにちがいない。

ならば、いっそのこと僕は、土中に穴を穿ち石積で固めた井の中に暮らす蛙を決め込もうと思う。毎日のテレビニュースは見ない、新聞も読まない。評論などという解説は所詮、机上のおためごかしみたいなものであるのだから無視する。 真理は内にある世の中が言う意義や意味から耳を塞ぎひたすら内に向かい、外界の情報は狭い井戸穴から肉眼で見える空模様程度でかまわない。 井の中の蛙はもはや大海に憧れない。蛙がクラゲ殿の真似をして大海に挑み、塩水にでも浸かれば干からびて後がないではないか。

セガレ曰く、「親父は何かとイロイロ面倒くさいよなぁ」…確かに、そのような噺ではございます。.