2016年3月25日 「グミの木」「蟻ん子みたいに小さくなって、この樹上で暮らそうか….」などと見上げていたら、この屋の主が顔を出した。「この木の樹齢ですか?はて…私が物心付く頃には庭にありました」とか。74歳の主が幼い頃にはもう枝を張っていたというから、恐らく百年…..この地に入植した先々代が植えたものらしい。 庭では幼児がサッカーボールを蹴っていた….孫で五代目。根を張り、枝を張り、血脈を継いで今日のグミの木。
2016年3月21日 「フクロウ唱話」庭先で薪を切っていると、他からもチェンソーのエンジン音が聞こえてくる事がある。陽が中天にかかる頃ようやく腰をあげる暢気な僕と時を同じくして、どこからともなく木霊する。 ホロツクホゥと鳴き交わす谷間のフクロウではないけれど、何気に稀なる同類と巡り合った気にもなる。近頃では暴走小僧よろしくチェンソーを歌わせて後、仕事に掛かる事にしている。
チェンソーの爆音には心騒がせる波動がある。例えば….その波動が炬燵で居眠る土地の老人の耳に届いたとする。たいてい山仕事で慣らした男である。午睡のまどろみを邪魔する騒音が耳について離れない。「山仕事とは白い息をも凍りつく夜明け前に起き出すものだ。昼日中に仕事にかかるとは、タワケた者よ」と呻く。そして、そのエンジン音の長短強弱で仕事ぶりを推し計り「このド素人めが….」と呟く。男は業を煮やしつつ、しだいに高ぶる。やおら起き出し納屋へと向かう。そこには長年ほっぽらかしたチェンソーがゴロゴロ置いてある。不思議と心に漲るものがある。いつもなら大相撲中継が始まるまで眠っているというのに、もぅ止まらない。頬被りの手拭いをキリと締めて一心不乱に刃を研ぐ。そしてとエンジンに火を点す。しじまつんざく爆音、フツフツと騒ぐ血潮を鎮めんがため老は立つ。恐らく、アッチの家でもコッチの家でもエイエイオゥッ!と老は立つ。果樹や庭木の剪定、あるいは立ち枯れの赤松の伐採等と冬場仕事は事欠かず、陽が暮れかかろうとお構いなし…かくして、里に爆音は木霊する。
駄法螺噺と哂わば哂え。こぅ考えねば、僕の真昼のフクロウの共感は説明がつかない。.ホぅ、ホぅ、なるほどホロツクホ~と、頷いて欲しいもんですなぁ。
2016年3月15日 「雪梅」ブタクサやアレチウリの枯れ茎を掻き分けつ、窪地の藪中にその梅はあった。長いこと放棄された梅林らしく密生の奥は藤蔓に覆われていた。荒畑に咲いた花だった。
古来より梅花を詠んだ詩は多々…かつて通った学校の講堂に「耐雪梅花麗 (雪に耐え梅花麗し)」と大書きの板(篆刻)があった。梅花教育を理念と掲げた故郷の学び舎だった。「一貫唯唯諾 従来鉄石肝 貧居生傑士 勲業顕多難 耐雪梅花麗 経霜楓葉丹 如能識天意 豈敢自謀安」。後に南州(西郷隆盛)の漢詩の一節と知った。
菅原道真は11歳にして月夜の梅花をキラ星と詠んだ。「月燿如晴雪 梅花似照星 可憐金鏡転 庭上玉房馨」。僕にも道真と同じ頃、キラ星と詠んだ詩がある。お育ちの違いはあろうけれど、負けてはいない。 蜘蛛の巣に降りかけた立ち小便の珠房をキラキラ星みたいだと書いて、先生にいたく褒められた。
禅語に「梅花和雪香 (梅花雪に和して香し)」…「是一番寒徹骨 爭得梅花破雪香 (錦江禪燈)」。もののネットにそぅ書いてあった。
ともあれ、実を成す花は絢爛(けんらん)と遠い。木訥(ぼくとつ)として淡々….藪の中、人知れず雪と和し陽と和し月と和し風と和すか梅花、真似できるはずもない花の孤高を想った…..と大仰に〆ようか。それとも、実のなる頃、密かにザル持ってまた来よう…..と書こうか。迷ってます。
2016年3月14日 「春雪」降っては消え、また降っては消えの春の雪。雫となって葦の穂先にとまっていた。
フワフワと降りかかり….見る間に雫となり….これが吹かれて氷となり…..揺れながらうつろうこの時節の心模様を「絶妙」と称えてよいものか。 名残の雪は重い。
3月7日晴 「煙突」風で薪ストーブの煙突が折れた。どうせ直すなら長いにこした事はないと煙管を継ぎ足すことにした。「煙突職人顔負けだな」と呟きつつ片手間に作業を終えるつもりだった。ところが、屋根へ担ぎ上げる段になって風が吹き出した。地上で仕立てた煙突を突き上げたまま梯子の途中、風に煽られ身動きならなくなった。身体を支えるのがやっとだった。
軒先に掛けた梯子をほんの少し登っただけというに、高さに怯えて脳内テンヤワンヤ。「きっと転がり落ちて、頭を打って、悶絶して、助けも呼べずにただ一人、ブリキの煙突を抱きしめたまま孤独死か…」と、ロクデモナイ事が頭をよぎる。かと思えば、「鳶職人は梯子が倒れかかっても決して手を離さない。梯子が傾き地上に倒れる寸前を見切って着地するのだ。梯子と一心同体にならんと駄目だ」などと、役にもたたぬ事が浮かんだ。
奮い立ち、再三態勢を立て直そうとしたけれど腰に力が入らなかった。.結局、.もちこたえられず煙突を放り出した。張線用の針金が身体にからみついた。その先端、バラバラになった煙管が何本もぶら下がり、風にカラカラと鳴っていた。
我家の煙突がひょろひょろなのは、凍てつく強風をものともせず頑張った苦闘の証だ。長い煙突は排煙効果が良いと教わったので、その通りに高くしたら確かによく燃える。通気が良すぎて瞬く間に火力は上がり、ストーブは真っ赤だ。家が発火するんじゃないかと思うほどだ。心配のあまり、夜中に起き出し水をジャブジャブ部屋中に撒く羽目になった。お陰で寝不足….暖冬とはいえ、かれこれもぅ五ヵ月もストーブのお守をしているのですわいナ。