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谷嶋成仁 清く正しく美しいオカぁチャン無しでは多いに困るの老人

文化の殿堂が泣いているデスョ

東御市のみんながたくさんお金(税金)を出し合って文化会館でやっているコンサートがあるでしょう。たまに有名タレントを招いたりもする文化公演です。その公演を自分の好きかってにできるとしたらどう?…でもね、それはメッ!駄目駄目のメッ!みんなのお金を好き勝手に使い独り占めしてるようなもんだからね。「さて、次はどんなスターを呼ぼうかしら? みんなで相談しようよソウシヨウ」と、こうでなくてはいけません。

以上のようなとても分かりやすい話をムズクしたレポート 

東御市が毎年2000万円規模の事業費をかける東御市文化会館の自主文化事業について、「極めて閉鎖的で不透明だ」との不満が市民から出はじめている。

現在、文化会館は指定管理制度の導入を機に、民間のNPO団体が運営している。指定制度の導入時に、旧文化振興係(担当行政組織・現在廃止)が行ってきた管理体制を踏襲する形で、行政は事業を一括民間に丸投げした。住民自由参加の合議による企画会議の設定など開放型の運営制度を模索すれば、さらに市民に近いものになったことだろう。しかし指定管理制度導入にあたり、踏み込んだ検討はしなかった。今、文化会館は、ほとんどの公演が市民の目が届かない民間業者(NPO)の手の内で独断的に決まってしまうという閉鎖的事態に陥っている。

チェック機能を果たすはずの文化会館運営委員会は、開催スケジュールが決まっている事業案件を後追いで確認するにすぎず、さらに、市教委直属の社会教育委員をも同時に兼任する一人の運営委員にあっては、NPOと委託契約を結びこの文化事業に直接参入するといった状況も出てきている。

この社会教育委員と文化会館運営委員を同時に兼任する委員は、イベント会社の経営者である。文化行政の民間委員を務める一方で、文化会館指定管理団体のNPOにも雇用され、その部署は『企画担当』。この部門は興行業者などが公演を狙って集中する自主文化事業の中軸となる重要な部門だ。NPOによれば「その職能を発揮していただける人材』と雇用の理由というが、この個人契約 (月額14万円) に加え、さらに、自分が経営する会社名義で、NPOから事業予算50万円の文化事業を請け負っている。つまり、公正をもってしかるべき文化行政の委員が一方では直接事業参入し収益を得ているということだ。

 公・私の見境がまったくないのではないか…と同委員の道義的責任を問うたところで、行政の指導は、一民間業者内の人事には及ばない。指定管理契約はこれを認めているらしい。市民の目線にたてばきっと、不可解な“利権構造”が見え隠れする文化事業なのだ。

自主文化事業とは、東御市文化会館が自主企画するコンサートや展示などの事業をいう。今年度の自主文化事業は前年比ざっと550万円アップの2800万円をかける。開館20周年にあたることから数々の大型企画を盛り込んでいる。誰がどういった目的で公演企画をあげたか、全てを明らかにする責務が文化行政にはある。公演事業の特殊性を盾に専門家集団に丸投げでは話にならない。

 このまちに生きることに歓びと誇りをもち、未来に輝くまちをつくるため…東御市民憲章の第4項には『芸術や伝統に親しみ、文化の薫るまちをつくります』とある。市民が謳う憲章である。お題目のみに終わらせるものではない、とボクは思う。

 

県議選挙東御市区 新人・石和大さん当選

任期満了に伴う長野県議会議員選挙東御市区(定数1人)は4月10日投開票し、前市議会議員で新人の石和大さん(46歳)が8482票の得票で初当選を果たした。投票率は65.88㌫。開票結果は次の通り。=10日午後11時20分発信
午後10時20分頃 初当選を喜ぶ石和大さん(右から4番目

午後10時20分頃 支持者 海野コミュニティーセンター

 

=午後9時開票作業

東御市区(定数1人)は前市議会議員で新人の石和大さん(46歳・石和大イサワダイ・新人・無所属・本海野・神官)と、現職の保科よしのりさん(71歳・保科俶教 ホシナ ヨシノリ・2期現・創志会・田中・県議会議員)の一騎打ちとなった。

石和大     8,482票   初
保科よしのり  7,624票

有効投票数 16,106票 
無効投票数       219票 
有権者数24,781人(男12,073 女12,708人)
投票者数16,325人(男7,871 女8,454人)
投票率65.88㌫

長野県議会議員選挙公報 (長野県選挙管理委員会発行)
石和大氏(46)

新しい風! いま東御市には、次世代へ持続可能な「若い力」が必要です。
1.県議会議員の報酬を30㌫削減し、震災復興にあてる提案をします。
2.信州教育を再生し、信州らしい全人教育を目指します。そして、子どもたちの学力を向上し、不登校、いじめ等の問題改善に全力を尽くします。
3.上小の医療圏を整備し、その中で東御市民病院への小児医療センター的機能を等を整備します。
4.雇用対策・不況対策を施策し、経済を活性化し、福祉対策を充実します。
5.議会を通年開催とし、議会による事業仕分け等、県議会を活性化します。

 

保科よしのり氏(71)
東京教育大学(現筑波大学)卒、東部町長四期、現長野県議会議員、創志会会長
豊かな政治経験と実績を活かし、果敢な改革、チャレンジ精神をもって、活力ある住みよい故郷を創ります。
1.震災からの復興に取り組みます。生活再建などの被災者への支援、県民の健康、県内経済への対応などに、即戦力として取り組みます。
2.景気を良くし雇用を確保します。地元企業への融資など、支援の充実を図ります。医療・福祉・環境などの産業育成に取り組みます。工科短大の充実などにより人材育成を図ります。後継者の育成など、農林業の再生、地域の特性を活かした観光産業の振興に取り組みます。
3.医療・福祉・教育を充実します。大学病院などと連携して、医師・看護師などの確保と、役割分担による地域医療再生に取り組みます。特別養護老人ホームなどの介護施設の整備と、在宅介護の充実を図ります。信州教育の復活を目指します。
4.県政を改革します。議員報酬・議員定数の削減と、行政の無駄遣いをなくすなど、県政改革に取り組みます。地域の皆様の願いを県政に反映させます。
5.災害に強い社会資本を整備します。災害に強い安全な道路・河川などの整備を図ります。学校・病院などの公共施設をはじめ、個人住宅の耐震化対策の充実・促進に取り組みます。

保育園跡地売り飛ばし、建て替え資金捻出?

 

保育園跡地は「原則売却」

花岡東御市長は、保育園統合により閉鎖する市内5保育園の跡地利用について「すべて取り壊し、原則売却」との方針を示した。

昨年閉園の御牧原保育園では、現在、地元研究委員会が再利用の道をさぐっている最中であることに加え、今回の売却方針は、かつて区民が善意で提供した保育園用地(公有地)の売却問題に踏み込む。「検討後の選択肢の一つ」と最終判断を先送りにする流動的な受け止め方がある一方で、住民同意を抜きにした独断的な発言との声があがっている。

 市議会3月定例会の清和会代表質問(青木周次市議・3月3日)に答えた市は市内を5地区に分け一地区一保育園方針を示し、平成26年までに全ての建て替えを終える計画。青木市議は、これまでの経過を踏まえながら「建て替え費用は合併特例債では不足」と指摘、「保育園廃園後の跡地利用について」市の方針を質した青木市議は 「旧北御牧村地区では中央保育園の建て替えに伴い平成22年・御牧原保育園を廃止。地元では保育園跡地についての研究委員会を設け検討しているが、維持管理費は全額使用者負担』との市方針に、現在足踏み状況にある」 と説明。市長は、保育園施設は老朽化しており耐震構造となっていない、などとし「全て取り壊し(跡地は)原則売却」と答えた。 

青木周次市議

 

観音寺桜

山腹を棚引く雲のように白く、桜並木が登っていた。

佐久市望月地区印内の集落のはずれ、県道を脇にそれると道は鹿曲川へと下った。太古の昔、蓼科山塊から押し出した土石泥流の末端部にあたるというその集落は、東西を川に仕切られた台地の頂にある。観音寺の集落をめざす幅3㍍ほどの林道だ。

今でこそ周辺の道路整備が進み、辺境の面影はないものの、かつては、バス停がある印内までのこの道が村をつなぐ生命線だった。近くの畑でトラクターを駆っていた○○さん(70・印内)が 「新しい林道を作った際に、記念に移植した桜だよ」と、並木の由来を教えてくれた。桜は、五、六十年前の旧本牧町の時代に植えたものだった。他の新道ができた今ではほとんど通う人もいない山の道だ。

 観音寺集落のいたるところに屋根に煙突を乗せたロッジ風の真新しい住宅が目立つようになった。滞在型農園「クラインガルデン」といった貸別荘のような施設(年間家賃39万円)もできた。20棟で現在246組が入居待ちなのだとか。「15年先まで既に予約済みということになります」と管理人が言っていた。新幹線佐久駅まで車で30分程度で通える農の村が、都会のリタイア組を呼び込みつ・・・・過疎に歯止めを、ということらしい。

明治の人

ボクの祖母は明治生まれの人だった。

ボクのグラグラ乳歯を硬い爪で引き抜いた人。生垣を這うマムシの首をつかみあげ一升瓶に放り込んだ人。焼酎漬となった蝮がいつのまにか病み上がりの者の強壮ドリンクや捻挫の湿布薬になったこと。晩年、畑で脳卒中をおこし這いずって家まで戻り来た人、その時の目をぐっと大きく見開き歯をくいしばっていた顔は、今も強烈な残像だ。キセル煙草の紫煙…….縁側でお茶をゆっくりとすする姿がどことなし凛(りん)として、おぼろげながら硬派の明治堅気というようなもの感じたものだ。

戦争で連れ合いを亡くしていた祖母は、戦中戦後の一時期、闇米の担ぎ屋をしていた。農家を渡ってかき集めた米や雑穀をザックにしこたま詰めては、列車で東京へと運び、売る。道端の草まで喰ったという時代だった。

闇屋にとって熊谷、大宮あたりが難所で、官憲が査察で強制的に列車を止めたという。満員の車内や列車の屋根は右往左往の混乱ぶり….そんな渦中、一人の大柄の男に助けられたと聞いた。男は闇米の詰まった荷物を足元に引き寄せ、査察の官憲を前に姓名を名乗り、祖母の闇米を自分の私物として引き渡さなかった。

小山邦太郎…….北佐久地方にあって、ボクの世代以上の者でこの名を知らぬ人はいないことだろう。ボクにとっては、小学校の修学旅行の国会議事堂見学を案内してくれた人、ただそれだけの人だとしか覚えはなのだが、終戦をまたぎ衆・参議員や市長を務めた小諸出身の生粋の昭和の政治家だ。

その自分の名を盾にして、無法の闇米を「私の荷物」として守ってくれたこの人物は、以来、祖母のヒーローとなった。祖母は亡くなるまでこの名を投票用紙に書き続けた。たとえ、その選挙が市議会や県議会選挙であったにしても、「邦太郎さんと比べれば貧相だけど」などとつぶやきつつ、いつも選択の基準にしていた。

過去の時代世相を知らぬ者にすれば、この名は、誇らしくもただ伝説の虚飾をまとっているにすぎないと思えるのかもしれない。しかし翻って、今時の政治家……明治生まれの祖母の眼からすればきっと、どの面見てもセコく嫌気がさす気がする。

目の前の人を見ず、想いを汲まず、思いつきの政策ばかり。上滑りのそんな政治家を目の当たりにするにつけ、商人でも学者でも、まして役人でもない本物の政治家の顔を描いてみる。

祖母は棄権しない人だった。一票の重さを人の重さと知る生粋の政治が欲しいと切に思っている。      

小山邦太郎 こやま・くにたろう (1889~1981) 参照 http://www.geocities.co.jp/WallStreet-Stock/7643/jinbutsu.html     

長野県出身。神戸高中退。1914年(大正3年)家業の蚕糸業を継ぐ。1928年(昭和3年)第1回普通選挙に当選、以降連続6回当選。鶴見祐輔らと明成 会を結成。1929年、民政党に入党。1940年米内内閣の海軍参与官、1945年鈴木貫太郎内閣の陸軍政務次官。蚕糸業国策運動を起こし31年蚕糸業組 合法成立に特別委員会委員長として尽す。1946年(昭和21年)全国森連会長。公職追放となり解除後50年から小諸市長をつとめ56年参議院議員に当 選。3期つとめ74年引退。井出一太郎は女婿。

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my sweet home 

家の中で火を燃やしている。

煙にまかれてたまらず外へ飛び出すこともままあるけれど、ヒトが居る所に煙があるのは自然というもの。いつの日か、お坊さんの読経とともに静かに焚かれるその日まで、せいぜい煙に巻かれて暮らすつもりだ。

ボクの住まいは築半世紀。古民家と、そのようなものである。

スローライフとかいう時代の雰囲気からすれば、この古民家になかなか捨て難い味わいを抱く人もいるだろうけれど、不動産屋に言わせると 「住めなくはない中古物件」。つまり、ぶっ壊して建替えが安全というシロモノだ。戦後まもなくこの地に開拓に入った先住の持ち家だった。

床といわず、窓といわず、隙間風が音をたてて吹きこむ冬は、さぶくてたまらなかった。零下の夜を過ごしつつ「確か昔、“しみしぬ(凍み死ぬ)”といった言葉があったよな」 などと幼い頃を思い出した。火が欲しい、焚き火ができなきゃ死ぬかもしれない。暖炉を作ると決めたのだった。

川原へ出かけ石を拾った。庭を掘り起こしては泥を集め、家の中に持ち込んでは盛り上げた。もともとお金がないから、自力でやるしかなかった。部屋の真ん中に石山がもりあがるにつれ、せがれたちは、「家の中に墓を築くつもりか」 とあきれた。ただ、「石造りの暖炉で焼き芋を焼くのもいい」 と言った時だけ、「それじゃあ、ピザも焼こうぜ」と食いついたけれど、結局、手を貸すつもりはないのだった。

ひとつふたつと川の石を集めてきてはセッセと積み上げるその様は、賽の河原の石盛りとでも映るだろうか……せめて百八つあるという煩悩の数を積み上げて、護摩を焚くように炎をあげて、世の平安を祈るのもいい、と居直った。

今時、危険極まりない行為だから、手づくり暖炉など誰にも勧めない。しかし、朝餉(あさげ)夕餉の煙、風呂焚く煙、ストーブの煙と、煙がのぼる暮らしを夢に見る。ボクは煙突のあるこの家が大好きだ。

 

冷暖完備の電化住宅に、ストーブをあつらえたがる種族とは、少し異なる点を強調しておきましょう。雪の降る日は暖炉の火を眺めつつ読書がいい、揺り椅子にもたれ、傍らに愛犬が寄り添いそんなけっこうお洒落な仕立てをボクも描いたりするから困るのだが……要するに、ボクの場合は、生存にかかわる火種であって、たぶん、百五十万年前に焚き火をしていた原人たちと同じあたりで火がほしかった。ヒト本来の筋金入のDNAが、焚き火をしないと生き残れないぞ、と騒いだという辺りでしょうか。

今時、オール電化の時代ジャン!電子でチンの時代ジャン!なのであって…… ところが、ボクは電子レンジひとつにしても、未だ何故あたたまるのか、一応理屈は分かるけれども腑に落ちない。回転する皿を一分二分と見つめ続けるのは、「もしや爆発するかもしれないね」 といった期待とも不信とも言い難い興奮がどこかにあるからで……そのうち時代が進み、電子レンジの斎場ができたりして…..などと馬鹿げた想像沸いてきたりで…..ごめんこうむりたいものである。

環境にやさしいスローライフは、結局、身一つが頼りのハードボイルドだから、重ねて言うけれど、決して他人様に勧めない。

第2回とうみダンスフェスタ 2月開催決定

第2回とうみダンスフェスタの開催が決まった。東御市文化会館会館20周年記念事業の一つとして、来年2月開催する。

「もっともっとたくさんの人と一緒に、いろんなダンスが楽しめたらいいね」 チビッコたちの声が、フェスタ開催のきっかけだった。
市内和のコミュニティーセンター(公民館)をレッスン会場にするダンスクラブ「ビッグハンズbighands」の母親たちが中心となり、実行委員会を設立。どんな形の催しににするのか考える中で、基本に据えたのは、我が子を夢中にさせたストリートダンスの 『自由さ』 だ。
踊ることに型をはめず、踊る者に差異をつけず、ジャンルや地域、年代、性差、身体的ハンデキャップなどを越えたダンス交流だ。

20th anniversary San Terrace

第2回 とうみダンスフェスティバル

the 2ndTOUMI DANCE FESTUVAL

 

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市議会会派分裂 二市議新会派立ち上げへ

東御市議会の最大会派「清和会(青木周次会長)」からこのほど、堀高明市議(74)と町田千秋市議(69)二人が脱会、新しく会派を立ち上げる。

清和会は昨年の議員死去に伴う欠員と合わせ3人減の4人構成となり(中立の議長職を除くと3人)、数の上では新人一期目議員4人で構成の「太陽と風の会」と同数になる。 改革に伴う会派制の導入以来、最大会派として主軸となってきた清和会の分裂で、今後の議会運営に影響を与えそうだ。

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 さくら、さくら・・桜道 ①

さくら、さくら・・・街道や峠道に、校庭やゲートボール場に、橋のたもとや堤に・・・人に寄り添うように咲き誇り・・・もうすぐ満開の花色だ。


去年は4月半ばを過ぎて雪だった。花に雪が降り積もり、久しくなかった桜雪。

今年はなぜか、桜便り(気象協会開花予想)のニュースが小さいのが気にかかる。列島の南から波を打って駆け抜ける前線がちょうど東北地方にかかるのは、この地とほぼ同じ時期だ。


さくら、さくら・・・古代色図鑑の桜色は、冬の純白の雪色に紅をほんの一滴を溶かした淡さ。「桜」の文字をなぞりながら「散る花びらの下に女と書く」と詠もうか・・・それはたとえば、描ききれない遥か彼方、夢まぼろしのようなもの・・・ほのかな女人の色香のようなもの・・・・

「一緒にお花見にでかけましょうか」、そんな声が欲しくもなる。

一足お先に、去年の桜(2010.4.17撮影)でお花見だ。

 

桜の道①  廃線は桜街道となった 小諸市押出 布引鉄道桜並木

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